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2013年3月5日火曜日

哲学の起源

哲学の起源: 紀伊國屋書店BookWeb

やあ、みんな。

まだ読んでないけど気になる本ということで挙げておくよ。アテネを帝国として、自然哲学を失敗した試みとして記述する、というところに強い関心をもった。

このブログを始めてから、読まなくては、と思う本が増えた。これは「Blog This!」を備忘録がわりに使っているせいなんだけど。今はまだ読まないよ。

じゃあ、またね。(2013/1/29)

D

ざっと読んだ感想

本が届いたので、ざっと目を通してみたよ。幾つか感想など。
  • Amazonの書評欄が芳しくなかったので、それに影響を受けてしまっているかもしれないけど、確かに欠点はあるな、と感じた。それは叙述技術の拙さに由来するところもあるのかも。虚心に見なければ、と思った。
  • まず、年表で紀元前600年前後の思想状況が語られます。イオニアのタレス、アナクシマンドロス、ユダヤのエレミア、エゼキエル、ちょっと後の中国の老子、孔子。これらの状況を指して、「哲学の起源」と言っているのは妥当、と思った。これに加えて、アテネ哲学のプラトン、アリストテレスは哲学の起源じゃないよ、という主張も妥当かな、と思った。
  • それじゃ、起源前600年頃の世界史の状況ってどんなだったの、が問題になると思うよね。僕はイオニアの位置さえ分からなかったけど、いわゆる小アジア、トルコの近くの地中海の東側だね(イオニア自体、ギリシャ人が移住して出来た国なので、ギリシャといっしょくたにされてしまっても仕方がないんだろうけど)。ペルシア帝国との争いが問題になると思う。んじゃ、そのペルシア帝国ってのは思想家を生まなかったの、というのが疑問になるね。
  • ペルシア帝国の支配との闘争、という観点でいくと、僭主の登場が紀元前660年頃から始まっているようだよ。そこに至る経緯が興味深いよね。ペルシア戦争は紀元前490年あたり。闘争の終盤。
  • ユダヤの状況は?っていうと、アッシリア帝国がイスラエル王国を滅ぼしたのが紀元前721年。バビロン捕囚が紀元前597年。ペルシアが新バビロニアを滅ぼしたのが紀元前546年。ペルシアがキーワードのような気がするよ。
  • 中国は?っていうと、春秋戦国時代だよね。それまでの夏、殷、周から、戦乱の世界に移っていったんだね。紀元前770年。んじゃ、周はなんで都をこの時期に移したの、ってのが問題になるね。技術的には青銅器から鉄器に移行してるね。
ここまで考えてみて、こう思ったよ。せっかく哲学の起源が世界同時多発してることに気が付いたんなら、青銅器時代から鉄器時代へ、という流れ、巨大帝国とその狭間でもがく小国家群、あるいは巨大帝国が分解してもがく小国家群、という構図が見てとれるんじゃないの、と。

この本が民主制のあり方を論じたい、という基本的な動機があるので、政治思想史に偏っていくんだけど、技術と外敵という要素を抜きに思想だけ考えても意味ないんじゃないかな。

それに同時多発、という点に着目して言えば、既に国際的な交易は発達してるんだから、ある場所で出来た技術は速やかに伝播するよね。必然的に同時多発にならざるを得ないんじゃないかって思う。

思想が生み出せるのも、弱い立場の国にて、ってのが共通してるんだと思う。だからペルシア内部での思想状況は誰も省みないように思うんだけど(ゾロアスター教は別として)。ヘーゲルさんはペルシア帝国の意義をすごく強調してるけど。

じゃあ、またね。